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ラオス竹紙の旅記録13
 2/13夕方から体調が悪くなって行った。

ムアンシンの食堂で食べた豆腐入りの焼きそばが悪かったのだろうか(ずいぶん長く待たされた割に火の通りが悪かった気がする。でも、ニットさんも同じものを食べたはず)
まずはおなか。腹痛と下痢、吐き気。
そして、その晩はなぜか心臓が苦しくなり、ベッドで寝ているのに、100メートル走を全力疾走し続けているような胸苦しさと動悸に一晩中苦しめられた。

初めての経験だった。
だいたい、おなかはすこぶる丈夫な方である。
今回も、最初こそ少し用心していたが、ニットさんという現地案内人を得て、結構何でも食べていた。屋台食や村の中で造っているお酒やちまきなんかもおいしく食べた。さらには豊富なフルーツ、日中暑かったので氷も。でも、それが悪かった気はしないのだけれど。

結局何が原因だったのかはわからない。でも、ただの食あたりというよりは、心臓の苦しさがただ者ではなかった。なんだか毒草か毒キノコにでもあたったような、経験のない苦しさだった。
ラオスは香草が豊富で、麺にもおかゆにも生の香草を何種類も乗せて食べる。
それがおいしくいろいろ食べていたが、その中に、私にあわない植物があったとか?

翌2月14日は谷由起子さんが織物プロデュースをする村に伺い、お仕事を見せていただいた。
もっと見たり聞いたりしたいこともあったけれど、あまりの体調の悪さに途中で退却する。
徒歩30分の距離がなかなか歩けず、休み休み帰って、ゲストハウスのベッドに倒れ込んだ。
そして、正露丸と夫の母が信奉する六神丸を飲み、こんこんと1日眠り続けた。

疲れもあったのかもしれない。
このまま異国の地で命果てるのかと思ったが、

なんとか翌2/15には起き上がることができた。



| ラオス竹紙探訪の旅 | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録12 ムアンシン周辺
国道を車で走っているうちにいつの間にか中国との国境地帯に出てしまった。
手前側にラオスの国境監視所があり、向こう側には中国の国境監視所がある。
それぞれの監視体制があまりちがうので笑ってしまった。
ラオス側は2人の監視員がシャツの裾を外に出してだらっと椅子に座っているが、中国側は、アーミー色の制服に帽子をかぶり、きりりとしていた。
うっかり興味半分にカメラを出して、あたりの写真を撮ろうとしたら、すぐ手前側のラオス人は何も言わなかったが、遠方の中国監視員にあっという間に見つかり、「撮影はいけない!」と厳しく注意されてしまった。

中国に近いムアンシン周辺では、山の樹木層に変化があった。
大規模なゴムのプランテーションが作られ、山が一面ゴムの木の栽培地になっているところがあった。また、サトウキビやトウモロコシの栽培も大規模に行われている場所もあった。 
これらは中国の経営者による農場で、ラオテン族などがそこで働いているのだという。
ニットさんの話では、安い賃金ではあるが、現金収入が得られるので、自給自足の暮らしを離れ、そこでの労働をしている人々も増えてきて、確実に人々の生活が変わりつつあると言っていた。

大国中国に国境を接するラオスは、今後ますますその影響を強く受けることだろう。
物資もどんどん入ってくるし、経営的にも中国資本が入ってくることで、自給自足に近い形で暮らしを成り立たせていた近隣の人々の生活は大きく変わってしまうかもしれない。

いくつかの集落で紙のことを尋ねるうち、ルー族の村で、ちょっと気になる情報を得た。
このあたりのルー族の村では、竹紙は漉いてはいないが、以前はサーペーパーと呼ばれる桑から作る手漉き紙の伝統があったと聞く。
どこかでサーパーパーを作っていないかな、と思っていたら、お寺でなら漉いているかもしれないといわれ、近くのお寺を訪ねてみることにした。

ルー族の集落、ナカンム村のお寺である。
元僧侶だったニットさんがお寺のお坊さんに聞いてみてくれる。
ややあって、若い青年僧が出てきてくれた。
みると、手に経文らしき本を持っている。桑紙で自分たちで手漉きし、自分たちで経文を手描きした本だそうだ。
「今は漉いていないの?」ときくと、必要な時に漉くので今は漉いていないが、奥の倉庫に道具はあるという。見せていただくことにした。

こちらは木で枠を組んだ、なんだか見慣れた木枠である。
溜め漉き用の枠で、菅野さんが使っている木枠によく似ている。
桑の皮を剥がしてゆでて洗い、つぶして川の中で漉く、というやり方の説明も、日本のコウゾなどの作り方と近いものである。

ふと、漉き枠に貼った布の色が気になった。
くすんだ赤に近い綿の布である。なんでこんな色なのかな?とボオッと思っていたところで青年僧が答えをくれた。
「私たちの古くなった袈裟を使っています」
そうか! このお坊さんの袈裟の色そのままではないか!

そしてそのとき、レンテン族の村の漉き枠の布が黒かったことがさっと頭に浮かんだ。
そうか!こちらもレンテン族の藍染めの服の着古した布の色だったのだ!
いつも、彼らの好き枠の布はなぜ黒いのだろうと、ボオッと前から疑問に思っていた。光の吸収の加減だろうか、などとややこしく考えていたが、そんな理由ではなかったのだ。
彼らはものを無駄にしない。わざわざ紙漉のための布を作るのでもない。自分たちの使い古した服などの布を紙漉用に使い回していただけだったのだ。
そして、そのとき、漉き布が継ぎ当てがたくさんあったことも理解できた。
服や使っていたときから継ぎはあたっていたのだろう。そして、紙を漉いている時にも継ぎを当てることは当たり前のことだったのだ。

そうか。私はそんな簡単なことにも気づかずにいたのだな。
使い古した綿の布は水切れもよく使いやすいはずだ。
目から鱗の発見だった。
寺の裏には、行事のために使った笹竹と飾りがあった。
なんだか七夕みたいだな、と思った。

このようにして、ムアンシンではいくつかの集落を回り、1日を終えた。
竹紙漉きはみられなかったが、大きな発見があった。

レンテン族たちの間では、今なお現役で竹紙を漉いていること。
ヤオ族は以前は竹紙を漉いていたが、ここ数年の間に自分達で竹紙を漉く習慣がなくなりつつあり、中国からの紙を使っていること。
ルー族は桑で紙を漉く習慣を持っていること。ただし、現在一般的に皆が作り使う用途を持つわけではなく、お寺などでは用途があるため漉いているところもあること。
アカ族には紙を漉いているところはなかった。

10数カ所の村を回った経験だけですべてを断定することは出来ないが、そんな構図が見えてきた。なにより、今なお伝統習慣を重んじ、竹紙を漉くことが欠かせないレンテン族と、中国国境近くで時代の波をかぶり、自分たちの紙漉をやめて中国紙を使うようになったヤオ族の違いは、大変興味深いものであった。これからの時代の中で、レンテン族にもヤオ族と同じような変化が訪れる日が来るのだろうか?それとも....。

13日のムアンシンを経験して、私の心は決まった。
これからの数日間、あちこちの村々を訪ねるのではなく、ルアンナムターを拠点と定めて、ナムディー村の儀式をじっくり見てみることにしよう。
私にとっては、今回、さらに多くの村を数量的に調査することに大きな意味があるわけではなく、村で、竹紙がどのような意味を持っているのか、身をもって知ることの方が大きな意味があるだろう。

そう思って移動せずに腰を構えることを決心した。
ただし、この頃から、私の身体には何やら変調が....。
| ラオス竹紙探訪の旅 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録11 ムアンシン・ヤオ族
 2月13日 ルアンナムターの西北に車で1時間半ほど行ったところにある、中国国境にほど近いムアンシンの町に向かう。ムアンシンとそこに至る周辺は、何人かの人たちから「竹紙を漉いている可能性がある」と話を聞いていた場所だった。

途中の道でも、竹紙を干しているところはないかと目を凝らす。
ないなあ。
ルアンナムターからムアンシンに向かう川の中程には大きなダムが出来ている。8年くらい前に出来たとあとで聞いたが、どうも、ダムが出来たことで、水の流れが変わったような形跡がある。常時水が定量で流れなくなったために、水量が著しく減ってしまった部分や水のよどみがひどくなって汚れの目立つところもある。
これでは紙漉もしにくくなったことだろうなあと想像する。

結局車の道からは紙漉を見つけられないまま、ムアンシンの町に入り、ヤオ族の集落訪ねることとする。ヤオ族はレンテン族同様中華系の強い民族なので、竹紙を漉いている可能性が強いのでは?と谷由起子さんも言っていた。

ナミー村。
確かに、ヤオ族の家にはこれまでの集落になかった瓦屋根の家が見られ、日本や中国との近さをより感じる。
一件の瓦屋根の家に立ち寄らせてもらった。家にいたご主人のユンニャンさんに話を聞く。
「竹紙は作っていませんか?」
「2009年までは作っていたんだけれど、今は作っていません」
「ええっ、どうして止めてしまったんですか?」
「竹もだんだん少なくなってきたし、使うのはお葬式や行事のときだけだし、それに自分で作らなくても、中国で安い竹紙をいっぱい売っているから、作るのは止めてしまったんですよ」
「そ、そうなんですかあ!」
がび〜んである。
「ほれ、これが私が作っていた竹紙(右)、そして、これが中国製の竹紙(左)です」
ユンニャンさんは両方の竹紙を見せてくれた。中国製の竹紙は、ムアンシンの市場にも入ってくるそうだし、なにせ、安くてたくさん流通しているのだそうだ。
「紙漉の道具はどうしましたか?」
「もういらないから、全部捨ててしまいましたよ」
ガビビビ〜ン!である。

ユンニャンさんが持っていた中国竹紙はよく知っている。
数年前に中国に竹紙を探しに行った時にもよく見かけた安い大量生産の竹紙だ。
サイズも小判で、紙質ももっと荒い。
それでも、竹紙であることに変わりはなく、儀式にも使えると言われればそうではあるだろう。
この村では、竹紙には字は書かず、写真のように圧し型をつけた竹紙を燃やして使うと言っていた。このやり方も、中国でもみかけたことがあった。確かお盆などの法事の時に、これを燃やして使うと言っていたと思う。
ヤオ族の村は、中国国境にも近く、また顔を見ても中国人により近い感じを受けるので、民族や文化的にも中華圏に近いところがあるのかもしれないと思う。
今使っている中国竹紙。家族が病気になったときなどにも、先生と相談して、このような押し型をつけて燃やすと言っていた。紙には文字はかかないそうだ。
家の門口には漢字が書かれていた
ユンニャンさんの家の前で

結局、ナミー村では、現在紙漉をしているところは1件も残っていなかった。

う〜む、やめてしまっていたか....。残念....。
他の村はどうだろう。ユンニャオさんの村だけの状況かもしれないし...と思い、別のヤオ属の村を訪ねてみる。

ナミー村よりもやや中国国境に寄ったウドムシン村。同じヤオ族の村である。
ここでも何人かの人に竹紙を作っていませんかと尋ねてみたが、皆ここ5〜10年くらいの間に作るのをやめてしまったとのことだった。理由は同様に、中国から安い竹紙がたくさん入ってきているから、だそうだ。
中には、竹紙に古い漢字を書いた経文を持ってきて、ほしいなら売ってあげようかという人もいた。
「それはあなた達にとって、大事なものだから売らないでください」とお断りしてお返したところ、持ち込んだおばさんもそうかな、と思ったようで、あっさり本を持ち帰っていった。
竹紙を作る、という伝統がなくなるとともに、儀式への思いも少し薄れてきているのかもしれない、との思いを抱いた。

そのほか訪れたヤオ族の村でも、この10年くらいの間に竹紙を漉くことをやめてしまったところがほとんどだった。
ヤオ族の村のおじいさん。初対面の私たちに握手をしてあいさつし、イスを勧めてくれた

ヤオ族の女性達はとても美しい刺繍をする。庭でも皆で刺繍していた。

つづきは、ラオス竹紙の旅記録12へ
| ラオス竹紙探訪の旅 | 16:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録10 2/12
 ナムディー村で一通りの竹紙の工程を見せてもらい、話も聞いた私たちだったが、この時、案内してくれたシンヘットさんから、竹紙の使い道に関わる重要な「あること」を聞くことができた。
それは、シンヘットさんが間もなく、ある儀礼を受けることが決まっており、その儀式で竹紙もたくさん使う、というのだ。

儀式は明日13日の夜に5人の先生(長老?)が集まり、シンヘットさんがその儀式を受けてよいものかどうかを協議するところから始まる。そして、それが認められたら、その次の日から3日3晩式が続くという。15.16日くらいには、竹紙を使った式が行われるはずだという。
式が終わったら、シンヘットさんは大人として認められ、どこへでも行くことを許され、結婚することも出来るのだと言う。

話を聞いて、成人の通過儀礼のようなものではないかと思った。
そんな儀式に竹紙が使われるなら見たいものだ。
お葬式などに竹紙が使われるとは聞いていたが、どこかにお葬式がないかと探すことも出来ないし、悲しみの中で興味半分な参加もはた迷惑なことだと思う。
でも、成人儀礼なら、おめでたいことだし、どんなことが行われるのか見たいなあ。

「私たちが参加したり写真を撮ることも出来る?」
と聞くと、シンヘットさん、構わないですよと言ってくれた。

本当は、ルアンナムターである程度村を見たら、ローカルバスでもう少し中国に近づいたムアンシンという町に拠点を移して、そちらの様子も見てみようかと思っていた。10年ほど前にルアンナムター周辺を染織交流の目的で訪れた高橋裕博さんからは、ルアンナムターからムアンシンへ行く途中で、竹紙を干している光景を見たと情報をもらっていた。また、染織家の草川メイさんからも、ルアンナムターとムアンシンの竹紙をわけていただいたことがあった。

だから、他の地域や民族の様子も見たい気はしていて、気になるところではあった。
でも、儀式のチャンスはそうあるものではないだろう。
どのように計画を組んだものか、迷うところだ。

しばし悩んだすえ、私はまずは12〜14日の間に日帰りで行ける地域の村を駆け足で回ってみることにした。12日もこのあと、いくつかの村を回り、また13日には、車で1〜2時間のムアンシンの町とその途中の様子も日帰りで見てくることにした。


以後は、その報告である。

2/12同じくレンテン族の村、ナムリュー村。
ナムディー村同様綿から手紡ぎ手織りしており、訪ねた時には、女性達が力を合わせて縦糸の長さをそろえる整経作業をしていた。

おしゃべりして笑いながら協力し合って力仕事をしていている女性達が楽しそう。

米を袋に詰めるところ
高床式の穀物倉庫は「ねずみ返し」になっている

そして、ここでも紙漉の様子を見ることができた。



そして、ここでは、漉き枠に貼った布のほころびを、丁寧に糸で補修している姿が見られた。

ほころびを糸で補修し、穴の開いたところにはつぎはぎをしている。
つぎはぎをすると、どうしても薄い紙にそのあとが残ってしまうことになるが、この人たちにとっては、針と糸を持って縫うことは、当たり前のことになっているんだなあ。

つぎに行ったのは、アカ族の村、ナムヤン村。
ここは紙漉はやっておらず、藤細工や貝殻を使ったブレスなどを作っている。
子ども、犬、子豚、みんな一緒にいる
村に入ったとたん、手作り小物を売る女や子どもたちに囲まれた。


村の高台にあった不思議な形のもの
そのときは宗教儀式に使うもの、としかわからなかったが、あとで本を調べたら、「祭礼に使うブランコ」とあった。ブランコって、この高さでいったいどのように?

これも宗教的な意味合いを持つものらしい

これ、学校です。

中には黒板と机があったが、この日は土曜日で学校は休みだった。

村では、ふいごや細工仕事をしている姿も見られた。

その後、タイダム族の村、ナムゲ村に立ち寄る。
ここは酒造りの村で、米を使った蒸留酒などを作っている。
村の中でお酒を売っていた。試飲してみたら、すっきりした味だったので1本購入。
45度の強烈な強さ。6000キープ(60円)は安すぎでは?
ただし、他のお酒の瓶に詰めかえただけの状態。

帰りにルアンナムターの市場をのぞく。
近隣の村の人々が、作ったりとって来た作物を並べ、また購入している。
野菜はとっても豊富。
ちょっと怪しいものも...これ、ねずみの黒焼き?
虫の幼虫?
クローバー?


夜はナイトマーケットの屋台でご飯。
その場でいろいろとりまぜで作ってくれるパパイヤサラダ
焼き鳥屋みたい。「これとこれちょうだい」というとその場であぶって焼いてくれる
で、食べていると、後ろで犬達が骨やおこぼれを待って座っている。
かしこくって、どこかのアホな飼い犬のように無理矢理テーブルの上のものをとったり吠えたりはしない。慎ましやかで穏やか。分を心得ている。

ああ、盛りだくさんな一日でした。


つづきは、ラオス竹紙の旅記録11へ
| ラオス竹紙探訪の旅 | 13:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録9 竹紙づくり
 ナムディ村の奥の川原で、さらに詳しく竹紙づくりの様子を見せてもらった。

竹は3月から8月くらいの間に伐り出し、石灰とともに容器に入れて、水に2ヶ月ほどつけ込む。
軟化した竹をとり出して、袋に入れて川にさらす。

軟化した竹を杵と臼でつぶしていく

パルプ状になったところでネリをまぜる
これはネリに使っている植物。名前は不明だが、つる性の植物の茎とのこと。
水につけるととろみが出てくる。
写真手前にあるこし器(へちまで手作りしている!)でネリをこす。

ひょうたんの柄杓でよく混ぜて紙料の出来上がり。

ひしゃくで少しずつ水を撒くようにして紙料を布に乗せていく
布の上にまんべんなく紙料をおき、水を切る


水を切ったら立てて干す

川原に乾くまで干しておく

「布から紙をはずすときはどうやるの?」と私が聞いたところ、
髪にとめていた銀のかんざしをさっとはずすと、それを紙の端の部分にあてがって、すすっとはがしていった。かっこよかった!


よっしゃ出来上がり。
竹の枠を担いでいとも容易く川を渡っていく....。


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| ラオス竹紙探訪の旅 | 12:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録8 ナムディー村
シンヘットさんの案内で村を回る。


 ナムディー村はラオスの少数民族のひとつ、レンテン属の村で、54世帯の家からなる。

藁葺き屋根に竹を網代に編んだ壁の家が多い。時折レンガの家もある。
高床式の穀物倉庫

犬も豚も鳥も自由に村中を動き回り、人と一緒に暮らしている

ちょうど綿の収穫中だった。
綿は女性達が手紡ぎ手織りして藍染めを繰り返し、彼ら独特の民族衣装に仕立て上げる
藍染め
染めた布を干す。何度も染めを繰り返し、黒に近い藍を目ざす。

レンテン族の「レン」は「藍」。「藍を着る人」という意味だ。
男性は普通の服の人も多いが、女性はおしなべてこの衣装。
眉を剃り、足には脚絆を巻いている。
はたらきもので、きりっとした強い印象を受ける。
この写真は、シンヘットさんのお母さんらが夫のiPodを覗き込んでいるところ。

基本的に自給自足で、食べるもの、着るもの、暮らしで使うもの、何でも一から十まで自分たちでつくっている。
物干に豚の肉と腸が干されていた。
竹を使った水煙草。村の人が吸っていたのを回し飲みさせてもらう。
煙草も栽培して作っている。日本のハイライトをあげると「味が薄い」と言っていた。
バナナの葉で巻いて作るちまき。この中身は確かめなかったが、米粉で作ったお菓子や、ソーセージのように肉を巻いたものなどよく見かけた。

シンヘットさんのおばあさん。自転車の車輪を使って糸紡ぎをしていた。

シンヘットさんのおじいさん。お茶をごちそうになり、竹紙に漢字をかいた経文のような本を見せてくれた。
神棚には竹紙が飾られていた。

つづきは、ラオス竹紙の旅記録9へ
| ラオス竹紙探訪の旅 | 11:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録7 レンテン族の村にて
 2月12日 この日の朝、最初に行ったのがレンテン族の集落、ナムディー村だった。

いきなり、集落の入り口の川で、竹紙を干している光景を発見!
「漉いてる!」「「竹紙だ!」 
私は興奮してしまい、カメラを構えることも忘れて、がけを駆け下り、川の飛び石をぴょんぴょん飛びながら、そこで紙を漉いている人のところへ走りよって行ってしまった。
川を渡っているのが私。この時は夢中で竹紙に向かって突進して行ったので、自分ではカメラはまるで撮っていない。夫が坂の上から写真を撮っていてくれたのがうれしい。

そして、この時、私の左横で、何やら洗いもの?をしていたのが、今回の旅で、私たちに貴重な竹紙の儀式を見せてくれることになる村の青年、シン・ヘットさんだった。
なんと私は、目的地に来た最初の村で、決定的な出会いをするという幸運に恵まれることになる。

竹紙を見せてもらって女性達と話をしていると、まわりに人が寄ってきた。
「私も日本で竹紙を漉いているんです」
「どれ、みせて。ちょっとあんたの紙、厚いわね。もっと薄く漉かなくちゃねえ。」
そんな感じで覗き込んできたのは、私のラオスでの紙漉師匠になるヨワートさんだった。
左で紙を持つ女性がヨワートさん、私のすぐ左の青年がシンヘットさん。

「竹紙で作った本もあるぞ。ほれ、これじゃ」
すごい!漢字もいっぱい書いてある!
「いったい何に使うんですか?」
「葬式や儀式の時に使うんじゃよ。」
「う〜ん、確かに経文みたいな文句が読み取れるわあ」

村の人たちも入れ替わり立ち替わり覗き込んで、いきなり話に花が咲く。

そして、同じく覗き込んで来ていたシンヘットさんに、ニットさんが、「君、ちょっと村を案内してくれない?」と声をかけてくれたのだ。
ニットさんがそういうのには訳があった。少数民族の人々は、ふだんはそれぞれの民族の言語で話すため、子どもやおばあちゃんはラオス語を話せない人も多い。学校教育を受けた若者はある程度のラオス語が話せるので、そういう意味でも、村の若者がついていてくれるのはありがたいことだった。

| ラオス竹紙探訪の旅 | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録6 竹紙を探す
 2月11日 ニットさんと落ち合った私たちは、それぞれの情報をもとに今後の計画を立てた。

ラオスは60以上もの民族が集まってひとつの国家を形成している国だが、特に北部のルアンナムター周辺は少数民族が多く、山間部に少数民族がいくつもの小さな村を形成して点在して生活している。地域的にも、中国雲南省、ミャンマー、タイ、ベトナムなどと国境を接しているので、それらの地域から民族も物資も流れたということなのだと思う。

わたしがまず行ってみたかったのはレンテン族の集落だった。
10年ほど前、見た雑誌に載っていたのは、レンテン族の女性が竹紙を漉いている写真だった。濃い藍色の民族衣装に身を包んだ女性達が、大きな枠を持って、川原に紙を干している写真だった。その写真キャプションに「ルアンナムター郊外にて竹紙を漉くレンテン族の女性達」とあった。

レンテン族の村をいくつか見たい。レンテン族はみな竹紙を漉いているのだろうか?
でも、ラオスで竹紙を漉くのは、レンテン族だけなのだろうか?他の民族はどうなのだろう?

日本で得られる資料は少なかったし、ニットさんも詳しいことは現地でないと分からない様子だった(ニットさん、ルアンパバーン郊外が出身地と聞いていたので、ルアンナムターは何度も来たことがあるのだろうと思っていたが、なんと初めて来たとのことだった。日本のように、人々が全国を旅行しているわけではないのだ)ので、まずはいくつかの少数民族の村を回ってみようということになった。

また、この日、ルアンナムター郊外で、もう10年以上も地域の女性達とともに織物の生産活動をプロデュースしている日本人女性、谷由起子さんにもお会いすることができ、彼女からもいくつかのアドバイスをいただくことができた。
| ラオス竹紙探訪の旅 | 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録5 ニットさん
 2月11日 ここルアンナムターで、今回の旅で通訳をお願いしたニットさんと落ち合う約束になっていた。
ニットさんは、ラオス人で34歳。今はビエンチャン在住だ。

そもそも10年あまり前に、ラオスでも竹紙を漉いていることを知った私は、「いつの日かラオスのどこで誰がどのような紙を漉いているのか見たい」と思うようになった。
チャンスがあれば少しずつ資料など集めていたが、あるとき、友人から「ラオスの研究をしている日本女性が京都にいるよ」と教えてもらい、4〜5年前にその女性とパートナーのラオス人男性に会う機会があったのだ。
それが京大の大学院でラオス研究をしていた吉田香世子さんとご主人のニットさんだった。

お会いしたときは、まだ私のラオスの旅も漠然とした夢だったので、いつの日かチャンスがあればという感じだったが、去年ラオス行きを具体的に考え始めたとき、真っ先に思い浮かんだのが香世子さんとニットさんのことだった。
二人には赤ちゃんが生まれ、しばらく前からラオス在住となったと聞いていた。

最初は、情報や通訳のことなど教えてもらえればと思い、連絡を取っていたのだが、香世子さんが、「私が通訳をしましょうか」といってくれて、旅はグンと現実味を増した。
竹紙の旅は、通常の旅行とは異なり、紙漉をする人との会話がとても重要だと思っていたので、どうしても、調査の期間中は、現地の言葉ができる人の存在が必要だった。

それが計画を立てて、旅も近づいた頃、香世子さんにとって重要な仕事が決まったため、旅の通訳をお願いすることは難しくなった。「さあ大変、どうしよう!」と思ったが、そのとき、ご主人のニットさんが香世子さんの代わりの役を務めてくれることになったのだった。

村の道端の木になっていたタマリンドを食べるニットさん。

ニットさんは12人兄弟の6番目で、13歳のときから10年間、ルアンパバーンのお寺で修行生活を送っていたそうだ。兄弟が多く両親は大変だったので、お寺に入ったのだと言っていた。まさに私が見た、あのルアンパバーンの少年僧の生活をしていたということだ。
ニットさんに「お坊さんの生活、どうだった?」と聞くと、「最初はつらかったけど、そのうちなれた」と言っていた。
そして、10年が経ち、ニットさんはお寺を出て、タイの大学に通う。
ようやく慣れたお寺の暮らしから社会に出て行くのは、また勇気のいることだったろう。

ラオスで香世子さんと出会ったニットさんは、日本に来て数年間を過ごし、今はビエンチャンの赤十字で、HIV患者を社会につなぐコーディネーターをしている。

人は、自分と異なる多くの人に出会い、様々な経験を積み、社会にはさまざまな人がいるのだと知ることで、その人々の暮らしや文化や宗教を理解し、ときに共感を持って受け入れることができるようになるのだろう。

このあとの旅で、私たちはニットさんを通して、多くの少数民族の村の中に入り込み、また地元の人達との交流を持つ貴重な機会を得る。
あまり構えることなく、おばあちゃんや子供たちの肩にちょっと手を置いて話しかけ、いつの間にか村の奥や家の中まで入って行ってしまうニットさんのさりげないおおらかさが、私たちをラオスの奥へと誘ってくれることになった。

| ラオス竹紙探訪の旅 | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録4 ルアンナムターへ
 2月10日、夜7時 夜行バスでルアンパバーンのバスターミナルからさらに北部のルアンナムターに向かう。
10時間の長旅だ。
VIPバスという名前がついていたからゴージャスなバスを想像していたが、なんのことはない、中国でも乗ったことのある長距離バスの払い下げ車両。
私のイスはリクライニングシートが壊れていて、背もたれにもたれると、いつのまにか仰向け近く寝そべる形になってしまう代物。後ろの人に悪いと思うが、どうにも出来ない

座席指定で満席で出発したが、なぜか途中の真っ暗な夜道で、大きな荷物を持った地元のおばあちゃんや男の子も乗ってくる。もう席ないのにどうするの?と思ったら、おばあさんは私たちのリュックをしまった車輪横の荷物置き場に、男の子は乗客が乗り降りする階段部分に座り込む。運転手と車掌は北島三郎そっくりのラオス演歌を聞き歌っている。

あとは真っ暗な山の中のでこぼこの夜道を、バスが揺れながらひたすら走る。
ぐんぐん冷えてきて、寒い。乗客はみな毛布をかぶって震えながら寝ている。
壊れたリクライニングシートから、窓越しに、プラネタリウムみたいな夜空の星が見える。

朝5時30分、真っ暗闇の中をバスが止まった。
どこか村についたのかな、地元の人でも降りるのかな?と座ったまま外を見る。
なんのアナウンスもないし、誰も降りないので、無視していようと思ったが、
夫が「ちょっと外を見てこよう」と言ってバスを降りてみる。
と、「おい、ここがルアンナムターらしいぞ」夫の呼ぶ声にあわてて降りる。
なんと何もない暗闇に、私たちのリュックだけがポンと放り出されていた。
他に降りる人はいない。
何人かルアンパバーンから乗り込んだ欧米人バックパッカーがいたので、てっきりルアンナムターで一緒に降りるのだろうと思い込んでいたのだが、彼らはタイのチェンマイに抜けるため、さらに先まで行くらしい。
バスはさらに10時間近く先まで行くのだ。バスは走り去って行ってしまった。

真冬のように寒い。暗い。眠い。どうしよう....と思っていたら、どこからともなく、トラック型のタクシー、トゥクトゥクが近寄ってきた。地元のおっちゃん、おばちゃん達もいつの間にか数人近くに来ている。
乗り合いで町の中心に行ってくれるらしい。みなとともに、10000キープ(約100円)払って、トラックの荷台に乗り込む。
ガラスもない荷台のベンチは風が吹きっさらしで寒いが、隣は乳飲み子の赤ちゃんを抱いたおばさんだ。いいのか、赤ちゃんこんな寒いところに連れ出して。
でも、これしか乗り物なかったら仕方ないものね。おっちゃんおばちゃんとぴったり寄り添って暖をとりつつ町へと向かう。

6時半、ルアンナムターの中心地につき、ゲストハウスを見つけるも、まだ早くて部屋に入ることができない。玄関のソファーには同様の先客が寝ている。
ありったけの着るものを着て、寒さに震えながらあたりをうろつく。しばらくして朝食を食べられる場所を見つけ、暖をとる、でも、まだかまどに火も入っておらず、めんもぬるい。
8時、地元の郷土博物館が開館になるのを待って、中に入る。展示はイマイチだったが、とにかくどこでもいいから暖かいところにいたかった。
こうしてルアンナムターでの1日目が始まった。
| ラオス竹紙探訪の旅 | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) |

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◆2011ラオス竹紙探訪の旅記録
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