2011.03.23 Wednesday
ラオス竹紙の旅記録23
2月20日
今日は1日かけて船でメコン川を下る。 ムアンゴイからノンキャウまでが1時間半、ノンキャウからさらに船で5時間ほどのスローボートの旅である。 食事休憩や、下手をすると途中のトイレタイムすらないと聞いていたので、朝食のバケット(薪であぶって出してくれる)にバターとジャムを塗り、水のペットボトルと露店で売っていたバナナをリュックに詰める。 同乗客はフランスやヨーロッパ、アメリカの旅行者が10名ちょっと。 こんな竹林を見たり、 焼き畑の山の煙を見たり 砂金とりの人々を見たり、 裸で泳ぐ子どもたちを見ながらスローボートは進んでいく。 乾期で水が少なかったため、途中、船は3回トラブルを起こして止まった。 1回はスクリューが壊れたらしく、私たちは無人の浜辺におろされて、10分ほど下流まで歩かねばならなかった。 それでも船頭さんは偉い! 予備のスクリューをちゃんと持っていて、川の中を舟底にパンツ姿で潜って、ちゃんとスクリューを取り替えてくれた。 2回目、3回目も浅瀬で底を石がこすったらしく、川の中で止まったが、やっぱり船頭さんは水に潜って危機を乗り越えた。 助手についていた女性(奥さんか?)もたいしたものだった。 トラブルがあるたび、船の屋根の上をスカート姿で走って、船首へ行ったり船尾に行ったり、櫂で船をこいだりして船頭さんを助けていた。 ほんとに、自分のものを自分で作ったり直したりできるってすごいことだ。 コンピューター時代の私たちは、物事がどういう仕組みで出来上がっているのか、まったくわかっていないから、何かあった時に、自分で直すすべを知らない。 すべてアナログのラオスでは、壊れたものは直せるし、自分の暮らしは自分で得たり守ったりできるのだった。 私たちの暮らしは、もろい砂上に成り立っていて、足下が崩れたら、自分の力ではどうにもできない。 それでいいのか?ラオスと日本、どちらが強いのか? ラオスで薄々そのことを考えていたのだが、これを書いている今、日本は原発で大揺れだ。 やはり、どこかで、自分で自分を支えていく土台を築くことを、しっかり考えていかねばならないのだと思っている。 朝9時に出発した船は、夕方5時にルアンパパーンに到着した。 船に乗り合わせた10名ちょっとの客は、みな知らない同士、国も年も違ったが、別れる時には、わずかな時間ながらも人生を共に歩いたような親しみが感じられた。 ルアンパバーンの船着き場 街では、少年僧がネットカフェでインターネットをする光景に出会った。 最初に来たときは、のどかだなあと思ったルアンパバーンだったが、ルアンナムター始め北への旅を終えて帰ってきた今は、まばゆいばかりの都会に見えた。 2月22日、 日本に帰国。 帰りの飛行機の中からは、雪をかぶった富士山がくっきりと見えていた。 |