2011.03.02 Wednesday
ラオス竹紙の旅記録16 成人の儀式
2月16日 今日も朝9時からナムディ村に来る。
今日はシンヘットさんに会えるかな。
家の2階に上がると、シンヘットさん兄弟はまだ出てきていない。
薄暗い祭壇の前でちょうど儀式が始まったところだった。
赤い服を着た若者がゆっくり舞い踊っている。
ちぎった竹紙がザルに入れておかれている。
若者が手に持っているのはなんだろう。
あ、鶏だ。生きた鶏を抱えて踊っているんだ。
時々、竹紙のところや祭壇に鶏を近づけたりしている....。
いきなり、鶏の首に刃物があてられた。
昨日、私がご飯を食べていたお茶碗に、鶏の血が注がれている。
鶏の血が竹紙の上に撒かれている。
竹紙に火がつけられ、薄暗い部屋に火が上がる。
太鼓と銅鑼が鳴っている。
絶え間なく、低い声で、祈りの声が続いている。
なんだかまるで、映画のインディアンの儀式を見ているようだ。
これは幻なのか?シャーマンの儀式なのか?
今はいつ?これは現代なのか?太古なのか?
夢かうつつかわからなくなってくる。
死んだと思っていた鶏が、床で時折ばたつく。
鶏は運ばれ、床には少量の血が残る。
その血もまた、人々の足でかき消され、
いつの間にかまたそこに人々が座っている。
若者の踊りが一段落して、シンヘットさんのお父さんと話す時間ができる。
お父さんはもう3日間眠っていないそうだ。
昨日は一晩中、6人の長老たちがシンヘットさん兄弟に教えを説いていたそうだ。精霊のいる場所、レンテンの文化など、レンテン族として生きていくためのすべてを教えるのだという。儀式を終えれば精霊は友達となり、怖い存在ではなくなる。どこにでもいくことができる。
「お父さん、今どんな気持ですか?」と私。
「うれしい、とてもうれしい」とお父さん。
「この儀式をすませなければ、いつまでも子ども。シンヘットさんは21歳で、本当はもう少し早く儀式をしなければいけなかったのだが、儀式をするのは大変なことで、準備やお金もかかるので、すぐには出来なかった。弟が13歳になるのを待って、二人一緒に式をすることができた。ほんとに嬉しいことだ」とお父さんは語ってくれた。
シンヘットさんに教えを説いていた長老にも話を聞く。
長老も昨日から寝ていない。食事も1日に1食である。
儀式の意味や竹紙の意味を尋ねると
「人はいいことも悪いこともする。悪い人もいい人もいる。式を受ける人もそうだし、死んだ先祖もそれは同じだ。式を受けることで人は浄化し、死んだ人も天国に行くことができる。竹紙を燃やすことは浄化の意味を持っている」
との答えが返ってきた。
長老との話は、もちろんニットさんのラオス語を介して行ったのが主であるが、レンテン族の年長者は、ある程度の漢字を書くことができるため、漢字を使っての筆談も多少できるのだった。
長老は私のノートにこんな字を書いてくれた。
「那人教公平里行路不錯二人新人受戒師」
きちんとした意味ではないかもしれないけれど、何となくわかった。
二人の若者がこれから道を誤らずにまっすぐ進んで行けるよう私たちは戒めを説き教えを伝える。自分はその師である。そんな意味なのだろうと思った。
今度はニットさんが残念がった。
「ここはラオスなのに、僕のほうが意味がわからない。ここ、本当にラオスですか?」
中国で始まった漢字文化は、遠い時代に雲南からラオス北部へと南下し、また一方で東に流れて日本に伝わった。東と南でその文化を受け継いだ私たちが、今こうして出会い、その漢字を使って会話をしている。なんだか古い知り合いに会えたような、時代を超えた不思議な懐かしさが自分の中にわいてくるのを感じた。長老もそうだったのではないか。
彼はそれからも何度もノートを使って語りかけてくれるのだった。
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