2015.10.11 Sunday
「大村はま先生に学ぶ」会
11月7日(土)こんな催しをします。
大村はま先生は私の中学校時代の国語の先生です。 私が中学生で3年間教えを受けた頃、すでに60歳を過ぎていらしたはずです。その当時、すでに大村はま先生の独特の国語教育は教育界では有名で、しばしば、全国の教育者や研究者が授業を見に来られていました。NHKのラジオ講師や受賞歴もありました。 それでも、先生は戦前戦後を通じて52年間、現役一教師として国語の授業を教え続け、74歳で定年退職されたあとも、98歳でなくなられるまで、研究発表や講演、執筆などなど国語教育の師として生き抜かれました。 私は、中学校卒業から45年近く経て、今「あの頃の授業で、私はことばの力を得たなあ」という実感があります。「ことば」を使ってものを考えること、「ことば」を使ってそれを表現すること、そうした手ほどきを、先生から受けたなあという確かな実感があります。 ヘレンケラーがサリバン先生から「水」という言葉をもらったように、もやもやした感情を表す手段として、「ことば」という強い、平和な武器をもらったように、今感じるのです。 ちょうど昨秋実家の片付けをしていて、中学校時代の自分の国語学習記録を見つけたのをきっかけに、みなさんにもう一度しっかりその話をしてみたくなりました。 ちょうど若いお母さんの中にも、大村はま先生の本に感動された方がいらして、少しお話もしたのですが、なにせ45年前の話ですから、私の記憶だけでは、なかなか先生のことをきちんと伝えきれないと感じました。 そこで、45年ぶりにご連絡をとったのが、今回の講演者である苅谷夏子さんです。 実は苅谷さんは中学校の同級生。まさに同じ時に同じ大村はま先生の授業を受け、さらに彼女は、晩年の大村はま先生を支え、「大村はま記念国語教育の会」の事務局長をしているのです。苅谷さんの著書「大村はま 優劣のかなたに」「評伝 大村はま」などを読むと、彼女もまた、はま先生からことばの力のプレゼントをもらったんだなあ、と実感します。 一方、自分の子どもたちやその後の子どもたちの教育状況を見る時、「教えられることの貧困さ」「学ぶことの貧困さ」を感じることがあります。 教育の問題としてだけではありません。世の中のさまざまな事件や外交の中でも、私たちは「ことばの貧しさ」でほんとは得られる理解を得られていないのではないか、と思うときもあります。 口先だけで物事を解決できるわけではないのだけれど、心からのことばをきちんと選んで相手に伝えること、そのためにはことばの教育がもっと必要なのでは?という気もしています。 そんなことをいろいろ考え話し合いたく、この催しを実施しようと思います。 若い人もそうでない人も、教育に関心がある人もそうでない人も、ぜひご一緒に考えてみませんか? 案外、今のさまざまな問題解決への糸口にもなるのではないかなあ。
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