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ラオス竹紙の旅記録12 ムアンシン周辺
国道を車で走っているうちにいつの間にか中国との国境地帯に出てしまった。
手前側にラオスの国境監視所があり、向こう側には中国の国境監視所がある。
それぞれの監視体制があまりちがうので笑ってしまった。
ラオス側は2人の監視員がシャツの裾を外に出してだらっと椅子に座っているが、中国側は、アーミー色の制服に帽子をかぶり、きりりとしていた。
うっかり興味半分にカメラを出して、あたりの写真を撮ろうとしたら、すぐ手前側のラオス人は何も言わなかったが、遠方の中国監視員にあっという間に見つかり、「撮影はいけない!」と厳しく注意されてしまった。

中国に近いムアンシン周辺では、山の樹木層に変化があった。
大規模なゴムのプランテーションが作られ、山が一面ゴムの木の栽培地になっているところがあった。また、サトウキビやトウモロコシの栽培も大規模に行われている場所もあった。 
これらは中国の経営者による農場で、ラオテン族などがそこで働いているのだという。
ニットさんの話では、安い賃金ではあるが、現金収入が得られるので、自給自足の暮らしを離れ、そこでの労働をしている人々も増えてきて、確実に人々の生活が変わりつつあると言っていた。

大国中国に国境を接するラオスは、今後ますますその影響を強く受けることだろう。
物資もどんどん入ってくるし、経営的にも中国資本が入ってくることで、自給自足に近い形で暮らしを成り立たせていた近隣の人々の生活は大きく変わってしまうかもしれない。

いくつかの集落で紙のことを尋ねるうち、ルー族の村で、ちょっと気になる情報を得た。
このあたりのルー族の村では、竹紙は漉いてはいないが、以前はサーペーパーと呼ばれる桑から作る手漉き紙の伝統があったと聞く。
どこかでサーパーパーを作っていないかな、と思っていたら、お寺でなら漉いているかもしれないといわれ、近くのお寺を訪ねてみることにした。

ルー族の集落、ナカンム村のお寺である。
元僧侶だったニットさんがお寺のお坊さんに聞いてみてくれる。
ややあって、若い青年僧が出てきてくれた。
みると、手に経文らしき本を持っている。桑紙で自分たちで手漉きし、自分たちで経文を手描きした本だそうだ。
「今は漉いていないの?」ときくと、必要な時に漉くので今は漉いていないが、奥の倉庫に道具はあるという。見せていただくことにした。

こちらは木で枠を組んだ、なんだか見慣れた木枠である。
溜め漉き用の枠で、菅野さんが使っている木枠によく似ている。
桑の皮を剥がしてゆでて洗い、つぶして川の中で漉く、というやり方の説明も、日本のコウゾなどの作り方と近いものである。

ふと、漉き枠に貼った布の色が気になった。
くすんだ赤に近い綿の布である。なんでこんな色なのかな?とボオッと思っていたところで青年僧が答えをくれた。
「私たちの古くなった袈裟を使っています」
そうか! このお坊さんの袈裟の色そのままではないか!

そしてそのとき、レンテン族の村の漉き枠の布が黒かったことがさっと頭に浮かんだ。
そうか!こちらもレンテン族の藍染めの服の着古した布の色だったのだ!
いつも、彼らの好き枠の布はなぜ黒いのだろうと、ボオッと前から疑問に思っていた。光の吸収の加減だろうか、などとややこしく考えていたが、そんな理由ではなかったのだ。
彼らはものを無駄にしない。わざわざ紙漉のための布を作るのでもない。自分たちの使い古した服などの布を紙漉用に使い回していただけだったのだ。
そして、そのとき、漉き布が継ぎ当てがたくさんあったことも理解できた。
服や使っていたときから継ぎはあたっていたのだろう。そして、紙を漉いている時にも継ぎを当てることは当たり前のことだったのだ。

そうか。私はそんな簡単なことにも気づかずにいたのだな。
使い古した綿の布は水切れもよく使いやすいはずだ。
目から鱗の発見だった。
寺の裏には、行事のために使った笹竹と飾りがあった。
なんだか七夕みたいだな、と思った。

このようにして、ムアンシンではいくつかの集落を回り、1日を終えた。
竹紙漉きはみられなかったが、大きな発見があった。

レンテン族たちの間では、今なお現役で竹紙を漉いていること。
ヤオ族は以前は竹紙を漉いていたが、ここ数年の間に自分達で竹紙を漉く習慣がなくなりつつあり、中国からの紙を使っていること。
ルー族は桑で紙を漉く習慣を持っていること。ただし、現在一般的に皆が作り使う用途を持つわけではなく、お寺などでは用途があるため漉いているところもあること。
アカ族には紙を漉いているところはなかった。

10数カ所の村を回った経験だけですべてを断定することは出来ないが、そんな構図が見えてきた。なにより、今なお伝統習慣を重んじ、竹紙を漉くことが欠かせないレンテン族と、中国国境近くで時代の波をかぶり、自分たちの紙漉をやめて中国紙を使うようになったヤオ族の違いは、大変興味深いものであった。これからの時代の中で、レンテン族にもヤオ族と同じような変化が訪れる日が来るのだろうか?それとも....。

13日のムアンシンを経験して、私の心は決まった。
これからの数日間、あちこちの村々を訪ねるのではなく、ルアンナムターを拠点と定めて、ナムディー村の儀式をじっくり見てみることにしよう。
私にとっては、今回、さらに多くの村を数量的に調査することに大きな意味があるわけではなく、村で、竹紙がどのような意味を持っているのか、身をもって知ることの方が大きな意味があるだろう。

そう思って移動せずに腰を構えることを決心した。
ただし、この頃から、私の身体には何やら変調が....。
| ラオス竹紙探訪の旅 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |









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