2011.02.25 Friday
ラオス竹紙の旅記録7 レンテン族の村にて
2月12日 この日の朝、最初に行ったのがレンテン族の集落、ナムディー村だった。
いきなり、集落の入り口の川で、竹紙を干している光景を発見!
「漉いてる!」「「竹紙だ!」
私は興奮してしまい、カメラを構えることも忘れて、がけを駆け下り、川の飛び石をぴょんぴょん飛びながら、そこで紙を漉いている人のところへ走りよって行ってしまった。
川を渡っているのが私。この時は夢中で竹紙に向かって突進して行ったので、自分ではカメラはまるで撮っていない。夫が坂の上から写真を撮っていてくれたのがうれしい。
そして、この時、私の左横で、何やら洗いもの?をしていたのが、今回の旅で、私たちに貴重な竹紙の儀式を見せてくれることになる村の青年、シン・ヘットさんだった。
なんと私は、目的地に来た最初の村で、決定的な出会いをするという幸運に恵まれることになる。
竹紙を見せてもらって女性達と話をしていると、まわりに人が寄ってきた。
「私も日本で竹紙を漉いているんです」
「どれ、みせて。ちょっとあんたの紙、厚いわね。もっと薄く漉かなくちゃねえ。」
そんな感じで覗き込んできたのは、私のラオスでの紙漉師匠になるヨワートさんだった。
左で紙を持つ女性がヨワートさん、私のすぐ左の青年がシンヘットさん。
「竹紙で作った本もあるぞ。ほれ、これじゃ」
すごい!漢字もいっぱい書いてある!
「いったい何に使うんですか?」
「葬式や儀式の時に使うんじゃよ。」
「う〜ん、確かに経文みたいな文句が読み取れるわあ」
村の人たちも入れ替わり立ち替わり覗き込んで、いきなり話に花が咲く。
そして、同じく覗き込んで来ていたシンヘットさんに、ニットさんが、「君、ちょっと村を案内してくれない?」と声をかけてくれたのだ。
ニットさんがそういうのには訳があった。少数民族の人々は、ふだんはそれぞれの民族の言語で話すため、子どもやおばあちゃんはラオス語を話せない人も多い。学校教育を受けた若者はある程度のラオス語が話せるので、そういう意味でも、村の若者がついていてくれるのはありがたいことだった。
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