2011.02.24 Thursday
ラオス竹紙の旅記録4 ルアンナムターへ
2月10日、夜7時 夜行バスでルアンパバーンのバスターミナルからさらに北部のルアンナムターに向かう。
10時間の長旅だ。
VIPバスという名前がついていたからゴージャスなバスを想像していたが、なんのことはない、中国でも乗ったことのある長距離バスの払い下げ車両。
私のイスはリクライニングシートが壊れていて、背もたれにもたれると、いつのまにか仰向け近く寝そべる形になってしまう代物。後ろの人に悪いと思うが、どうにも出来ない
座席指定で満席で出発したが、なぜか途中の真っ暗な夜道で、大きな荷物を持った地元のおばあちゃんや男の子も乗ってくる。もう席ないのにどうするの?と思ったら、おばあさんは私たちのリュックをしまった車輪横の荷物置き場に、男の子は乗客が乗り降りする階段部分に座り込む。運転手と車掌は北島三郎そっくりのラオス演歌を聞き歌っている。
あとは真っ暗な山の中のでこぼこの夜道を、バスが揺れながらひたすら走る。
ぐんぐん冷えてきて、寒い。乗客はみな毛布をかぶって震えながら寝ている。
壊れたリクライニングシートから、窓越しに、プラネタリウムみたいな夜空の星が見える。
朝5時30分、真っ暗闇の中をバスが止まった。
どこか村についたのかな、地元の人でも降りるのかな?と座ったまま外を見る。
なんのアナウンスもないし、誰も降りないので、無視していようと思ったが、
夫が「ちょっと外を見てこよう」と言ってバスを降りてみる。
と、「おい、ここがルアンナムターらしいぞ」夫の呼ぶ声にあわてて降りる。
なんと何もない暗闇に、私たちのリュックだけがポンと放り出されていた。
他に降りる人はいない。
何人かルアンパバーンから乗り込んだ欧米人バックパッカーがいたので、てっきりルアンナムターで一緒に降りるのだろうと思い込んでいたのだが、彼らはタイのチェンマイに抜けるため、さらに先まで行くらしい。
バスはさらに10時間近く先まで行くのだ。バスは走り去って行ってしまった。
真冬のように寒い。暗い。眠い。どうしよう....と思っていたら、どこからともなく、トラック型のタクシー、トゥクトゥクが近寄ってきた。地元のおっちゃん、おばちゃん達もいつの間にか数人近くに来ている。
乗り合いで町の中心に行ってくれるらしい。みなとともに、10000キープ(約100円)払って、トラックの荷台に乗り込む。
ガラスもない荷台のベンチは風が吹きっさらしで寒いが、隣は乳飲み子の赤ちゃんを抱いたおばさんだ。いいのか、赤ちゃんこんな寒いところに連れ出して。
でも、これしか乗り物なかったら仕方ないものね。おっちゃんおばちゃんとぴったり寄り添って暖をとりつつ町へと向かう。
6時半、ルアンナムターの中心地につき、ゲストハウスを見つけるも、まだ早くて部屋に入ることができない。玄関のソファーには同様の先客が寝ている。
ありったけの着るものを着て、寒さに震えながらあたりをうろつく。しばらくして朝食を食べられる場所を見つけ、暖をとる、でも、まだかまどに火も入っておらず、めんもぬるい。
8時、地元の郷土博物館が開館になるのを待って、中に入る。展示はイマイチだったが、とにかくどこでもいいから暖かいところにいたかった。
こうしてルアンナムターでの1日目が始まった。
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