ギャラリーテラ京都

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京都・清滝にある古民家ギャラリーテラ清滝と、竹紙竹筆専門店テラ西陣のブログです。
ラオス竹紙の旅記録23
 2月20日
今日は1日かけて船でメコン川を下る。
ムアンゴイからノンキャウまでが1時間半、ノンキャウからさらに船で5時間ほどのスローボートの旅である。

食事休憩や、下手をすると途中のトイレタイムすらないと聞いていたので、朝食のバケット(薪であぶって出してくれる)にバターとジャムを塗り、水のペットボトルと露店で売っていたバナナをリュックに詰める。

同乗客はフランスやヨーロッパ、アメリカの旅行者が10名ちょっと。

こんな竹林を見たり、
焼き畑の山の煙を見たり
砂金とりの人々を見たり、
裸で泳ぐ子どもたちを見ながらスローボートは進んでいく。

乾期で水が少なかったため、途中、船は3回トラブルを起こして止まった。

1回はスクリューが壊れたらしく、私たちは無人の浜辺におろされて、10分ほど下流まで歩かねばならなかった。
それでも船頭さんは偉い!
予備のスクリューをちゃんと持っていて、川の中を舟底にパンツ姿で潜って、ちゃんとスクリューを取り替えてくれた。

2回目、3回目も浅瀬で底を石がこすったらしく、川の中で止まったが、やっぱり船頭さんは水に潜って危機を乗り越えた。

助手についていた女性(奥さんか?)もたいしたものだった。
トラブルがあるたび、船の屋根の上をスカート姿で走って、船首へ行ったり船尾に行ったり、櫂で船をこいだりして船頭さんを助けていた。

ほんとに、自分のものを自分で作ったり直したりできるってすごいことだ。
コンピューター時代の私たちは、物事がどういう仕組みで出来上がっているのか、まったくわかっていないから、何かあった時に、自分で直すすべを知らない。
すべてアナログのラオスでは、壊れたものは直せるし、自分の暮らしは自分で得たり守ったりできるのだった。

私たちの暮らしは、もろい砂上に成り立っていて、足下が崩れたら、自分の力ではどうにもできない。
それでいいのか?ラオスと日本、どちらが強いのか?

ラオスで薄々そのことを考えていたのだが、これを書いている今、日本は原発で大揺れだ。
やはり、どこかで、自分で自分を支えていく土台を築くことを、しっかり考えていかねばならないのだと思っている。

朝9時に出発した船は、夕方5時にルアンパパーンに到着した。
船に乗り合わせた10名ちょっとの客は、みな知らない同士、国も年も違ったが、別れる時には、わずかな時間ながらも人生を共に歩いたような親しみが感じられた。
ルアンパバーンの船着き場

街では、少年僧がネットカフェでインターネットをする光景に出会った。
最初に来たときは、のどかだなあと思ったルアンパバーンだったが、ルアンナムター始め北への旅を終えて帰ってきた今は、まばゆいばかりの都会に見えた。

2月22日、
日本に帰国。
帰りの飛行機の中からは、雪をかぶった富士山がくっきりと見えていた。


| ラオス竹紙探訪の旅 | 16:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録22
 2月19日朝 
ノンキャウからスローボートでムアンゴイを目ざす。

ムアンゴイへの交通は船だけしかない。
こんな感じの船に10人あまりの乗客が乗り合ってメコン川の支流をさかのぼっていく。

これまでのホコリだらけの陸路と違い、風を受けながら、景色を見渡しながら進む船の旅は、本当に快適だ。
ワクワクする楽しさと、ドキドキする怪しさに満ちている。
時々両側には浜辺が現れ、水牛の群れが水浴びをしていたり、川沿いに暮らす村人達が投網を打っていたりする。かと思えば牛の群れが砂埃をあげていたり、子どもたちが裸で泳いでいたりする。

陳腐なたとえだが、私の連想は、もうずいぶん昔に行った浦安のディズニーランドだった。船に乗って世界の水辺を回るアトラクションがあった。「は〜い、皆さん、右を見てください。カバの群れが水浴びをしていますよ〜。あっ、今度は、船の前に、大きなワニが口を空けて現れました〜。左には裸の子どもたちが泳いでいますよ〜。大丈夫でしょうかぁ」なんて具合にコンパニオンガールが解説しながら進んでいく代物だったが、このスローボートは、まさにその本物版、という感じなのである(もちろんこちらにはコンパニオンガールはおらず、ワニもいなかったが、雰囲気はまさにそんな感じだった)。

はたまた夫は、映画「地獄の黙示録」の妄想にとらわれていた。マーチン・シーン演じる若き兵士が、ベトナムの奥地の川を遡って、マーロン・ブランドの潜むあやしい密林へと入り込んでいくあのシーンを思い起こすというのだ。

互いに勝手な妄想を膨らませながら、1時間半ほど進んだところで、目ざすムアンゴイについた。
村のなかに適当なゲストハウスを見つけ、荷物を降ろしてあたりを歩く。
真ん中に1本メインストリートがあるだけの小さな村だ。
陸路がないせいか、南の島の集落みたいな雰囲気だが、なぜか南の島には似合わない、切り立った山がそびえているのがおもしろい。

ゲストハウスのすぐ前の広場で、またまた不思議な物を見つけた。
村人達が、バナナかタロイモの茎?を伐ったり切れ目を入れたりしながら、小さな家のような形を組み立てている。
植物や花、実を組み合わせて、飾りもできてきた。

まるで、京都の家の近くで秋におこなわれるずいき祭りみたいだ。

夜には、こんな神輿のような形になった。
まわりには、紙幣(偽物)がたくさんぶら下げられている。
そして、お坊さんが何人もやってきて、なかでお経も始まった。

えっ、もしかしたらお葬式?
じゃあ、あんまり覗き込んだら悪いかな?
それにしては、そんなに悲しそうな雰囲気がないけれど....。

よくわからないまま、その夜が始まり、村は恐ろしい状態になった。
夕方から、船で大きな発電機やスピーカーが運び込まれ、何やらみなで設置作業をしていると思ったら、ものすごい音量で音楽が鳴り響き始めたのだ。

初めは大音響の北島三郎と三波春夫、それに天童よしみそっくりのラオス演歌オンパレードだった。それから村人総出のカラオケ大会がはじまり、若者達のラオスポップス?も続いた。すべて、村中に鳴り響けと言わんばかりの大音響。私たちのゲストハウスは広場の前にあるので凄まじい騒音だ。静かな村でのんびりとくつろごう、と考えていたわたしたちは、ひとときたりとも止まることのない大音響に、耳がおかしくなりそうだ。

さらに、そのスピーカーの大音響にかぶせるように、なぜか、民族楽器の音色も聞こえ始めてきた。若者の唄と、民謡もかぶさり合ってゆずることなく聞こえてくる。

いったいこれはなんなのだ?と、村人に聞くが、英語を理解する人があまりいないので、はっきりしたことがわからない。
でも、片言の英語のやりとりからわかったことは、やはり「死んだ人の魂にささげる儀式である」こと、「まつる人は、今死んだ人ではなく、もっと前に死んだ人」らしいこと。そして、若者達のカラオケも、年寄り達の民族楽器も、同じ「亡くなった人に捧げる行事」としてみなでおこなっているらしいことであった。

じゃあ、それってお盆みたいなものかしら?
翌朝ゲストハウスのご主人に聞いたら、「夢のお告げを受けてやっている」とか「仏教とアニミズムが合わさった信仰だ」とのことだったので、要は「ずいき祭り」か「地蔵盆」という私の解釈もあながち間違いではなかったのかもしれない。

お盆か法事じゃ文句は言えない。
しかし、半端ではない音響である。

夕方に始まったイベントは、村中総出で老若男女が広場に集っていて、何時になっても終わる気配がなかった。もちろんお酒も浴びるほど飲み続けていて、私たちも出て行くと、お酒を勧められ、歌や踊りに参加させられる。

夜中にカラオケを見に行った夫が、驚いて戻ってきた。私たちはずっとカラオケの機械が伴奏をしていると思い込んでいたのだが、ひとりの男性がシンセサイザーを使って、さまざまな曲を演奏し続けていたのだ。「カラオケ」ではなく「なまおと」だったのだ。
これは「ラオスの大友良英だ」と夫が言う。

若者達のカラオケは夜中の3時に終了した。
そして、年配組の唄と民族音楽はさらに翌朝7時まで続いた。
これは朝6時半の民族音楽。
ラナートという竹で作った木琴と二胡のような弦楽器、そして鉦や太鼓もある。
唄は、みなお酒を飲みながら、居合わせた人々が、次に歌う人を指名しながら、輪になって、つぎつぎ歌い続けているのだった。

正真正銘、一晩中、音楽は、ひとときたりとも休むことがなかった。
ラオス、恐るべしエネルギー。

でも、この竹の木琴の音色と手拍子で民謡を歌うおばちゃん達の歌声、すばらしかった。この音と唄、少しだけ録音もしてきたので、機会があればお聞かせしたいものです。
| ラオス竹紙探訪の旅 | 09:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録21
 2月18日、朝、ルアンナムターを旅立つ。
ここが私たちが8日間お世話になったゲストハウス、1日二人一部屋800円くらいの宿だったが、清潔でなかなか快適だった(シャワーのお湯の出は悪かったけど)。
旅立ちが名残惜しい。

通訳を務めてくれたニットさんとも今日がお別れだ。
ニットさんは、いつの間にかこのルアンナムターにいくつかある旅行社やゲストハウスの人たちとすっかり仲良くなってしまっていた。おかげで、私たちも地元の人たちと親しくなり、昨晩は一緒に酒盛りとなった(私たち、お酒飲めないんだけど)。私たちは10時くらいまでは一緒で、そのときすでに大量のビールが消費されていたが、ニットさんたちはその後夜中の2時まで飲み続けたらしい。ラオスの人、ほんとにお酒好きだ。そしてこれからのラオスのこと、観光のことに、すごく夢を持っている。ビエンチャン在住で、旅行業の経験もあるニットさんは、彼らの相談にも乗っていたらしい。
ニットさん、自身はけっこう波瀾万丈の人生ながら、それをおだやかに乗り切る不思議さがある。
今回の旅は、ほんとに彼のおかげで、とてもディープなものになった。少数民族の人たちとも、ルアンナムターの人たちとも予想以上にふれあう機会を得た。形式や手順をすっとばして、人の芯の部分にぐーんと入っていくような彼のキャラクターが、私たちをラオスの奥の方まで誘ってくれたのだと思う。
ほんとうに感謝している。

親しくなった旅行社のおっちゃんに手配してもらい、ルアンナムターから乗り合いのミニバンで5時間かけて南東のパークモンに、さらに乗り合いのトゥクトゥクに1時間ゆられてノンキャウに向かうことにする。

ワゴンの補助席をすべて使って12人が乗り合わせた満席のミニバンの中では、地元の?若い女性が車酔いではき続け、ご本人もまわりもつらい状況となった。でも、誰も車から抜け出すことは出来ない。
ミニバンを頼む時、ちょうど居合わせたイギリス人の老夫妻(70は過ぎていたと思うがすごく旅なれたお二人で、ルアンナムターでも自転車に乗って回っているのを見かけた)が、「ミニバンよりローカルバスが楽よ。車の中で寝られるもの」と言っていた言葉を思い出す。

中継地点のウドムサイ
ウドムサイのこの食堂で、食欲ないと言いつつも、においにひかれてジュウジュウ脂ののった焼き肉を食べる。おいしかった。奥に座っているのが夫。


夕方、ノンキャウ着。
安宿を探す。

私たちの宿は安宿だったが、ノンキャウの眺めは抜群だ。
日本人はほとんど見かけないが、ヨーロッパからリゾート感覚で過ごす人も結構いる。

翌朝、ここからメコン川の支流をスローボートに乗ってさかのぼり、北のムアンゴイを目ざす。ムアンゴイは、船でしか交通手段がないということに心ひかれ、この旅の最後のおまけに行ってみようと思っていた場所だ。
ラオスの暮らしを語るとき、メコン川を欠かすことのできないだろう。
長年、水辺の暮らしを調査してきた私としては、少しだけでも船の旅と水辺の暮らしを見ておきたいと考えた。

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| ラオス竹紙探訪の旅 | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅20 2/17
 2月17日、この日もナムディ村に出かけた。

この日の目的は、ひとつは前日にヨワートさんと一緒に漉いた竹紙を干したままで帰ったので、それをもらいにいくこと。そしてもうひとつは、祭礼を終えたシンヘットさんに、もう一度会いたかったのだ。
昨日は結局シンヘットさん兄弟は、その後も親戚や長老へのあいさつがずっと続いていて、話す時間はまったくなかった。ひと言、言葉を交わしておめでとうと言いたかった。

家をのぞくと、シンヘットさんいた!
伝統の民族衣装をまとい、晴れやかな顔だ。
「おめでとう!」と声をかけると
「来てくれていたんだね! ずっと狭い部屋に閉じこもっていたから、まわりのことは何もわからなくて、来ていないのかと思っていたよ」と言う。
こちらは式の様子をつぶさに見ていて、彼が外に出てきた様子も見守っていたのだけれど、緊張して式に臨んでいた彼は、まったく気がついていなかったらしい。
確かに、すごい真剣な表情でまわりもちらりとも見ていなかったもの。シンヘットさん、まじめなんだな。

「どう?今の気持は?」と尋ねると、
「つらかった!すごく疲れたけれど、今は大人になってとてもうれしい!」との返事。
これがシンヘットさん兄弟とお父さんとお母さん

しかし、式は終わったものの、まだすべてが終わったわけではない。
式に参加し、立ち会ってくれた人々に、一人一人お礼を言い、あいさつをして、お酒をついで回っている。

お父さんやおじいさんが、私たちに「式に参列してお酒を酌み交わした人はみな親戚になったのだから、ご飯を一緒に食べていくように」と誘ってくれる。
毎日ごちそうになりっぱなしでは悪いし、今日はすぐ失礼しようと思っていたのだけれど、ニットさんが「せっかくああ言ってくれているし、お祝いの席だから一緒に食べていきましょう」と言う。
それではとまたまた席に着く。

今日は暗い土間に、数十人の人々が座っている。
ごちそうの豚がさばかれて、土間の中にも肉が吊るされている。
村人達の家々にも、ふるまいの豚の足や肉が運ばれている。

いつもは決して男性達と一緒の席に着かずに、裏方をつとめてきたシンヘットさんのお母さんが、祝いの席に座っているのであれっと思う。
みなが席に着いたところで、長い1本の手紡ぎの木綿糸が、席に座った数十人の人々の間に回され始めた。みなが木綿糸を手に持ち、宴席を糸が回っていく。
ぐるりと一周回り切ったところで、村長が祈りの言葉を唱え始めた。村長は低い祈りの声とともに、回っていた木綿糸をゆっくりとお母さんの手首に巻き付けていく。
そして、木綿糸がみなの手を離れ、すべての糸がお母さんの手首に巻き取られた時、祈りの言葉は終わった。
それが祝宴のはじまりだった。

とても美しい光景だった。

祈りの言葉の意味はわからなかったが、その行為の持つ意味は感じとれた。
ここに立ち会った人は、1本の糸で縁を結ばれ、成人したシンヘットさんを祝福し、今後を見守っていくのだろう。
若者は立ち上がり旅立っていく。
でも、その源には確かにおかあさんがいる。

大きな文化の違いを持つように思えるレンテン族の暮らしも、その底に流れるものは私たちと変わらず、同じなのだと思った。

3日間の祭礼儀式は、薄暗い部屋やきついお酒や血や火や踊りとあいまって、なんだか幻のようにも思えていた。夢か現か定かでないような気もしていた。
でも、このとき、幻は実像となって、はっきり私の心に焼き付いた。

私はこの日のこの光景をけっして忘れないだろう。
なんだか涙が出てくるような美しく暖かい光景だった。


それからは祝宴だった。みな、食べて飲んで、陽気な祝いの席だったが、シンヘットさん兄弟は律儀にみなの席を回り、お酒をついて回っていた。
その順番が彼らのおじいさんのところに来た。
80歳になるおじいさんは、孫の杯を受けながら、ゆっくりと説いて聞かせるように二人に何かを話しかけていた。シンヘットさんも何度もうなずきながらその言葉に耳を傾けていた。
老人には若者に伝えるべきことがあり、若者には老人から学ぶべきことがある。

レンテンの世界はまだまだ生きていて健全な社会だなあと思った。

そのあと、おじいさんは、中華丼ぶりの鉢になみなみと入った豚の生血を、私たちに飲むようにと勧めてくれた。「おいしいですぞ。飲みなされ」と。
でもごめん、それだけはちょっと飲めませんでした。
すると、おじいさん、「そうですか、悪いですなあ、では遠慮なくワシがいただくとしますか」と丁寧に回りを気遣いつつ、中華スープを飲むレンゲで生血をすくい、ずずず〜っとすすり上げて飲み干し、歯の抜けた口をほころばせて満足そうに微笑むのでありました。


シンヘットさん兄弟が着ているのがレンテンの男性の民族衣装
お母さんの着ているのが女性の民族衣装

お祝いにナムゲ村のラオス焼酎と日本から持ってきたお菓子を渡しました。

シンヘットさん、弟さん、成人おめでとう!
これからはどこへでも行けるし結婚もできる。
精霊はあなた達の味方となり、あなた達を支えてくれるだろう。
ふたりはレンテンの歴史と文化をになう、たくましい大人になることでしょう。

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| ラオス竹紙探訪の旅 | 20:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録19 ヨワートさんと紙を漉く
 さて、この日、私にはもうひとつ大事な仕事が待っていた。
最初の日に村で出会った竹紙漉きをしていた女性、ヨワートさんと一緒に、この日紙漉をする約束をしていたのだ。儀式の余韻も覚めやらぬまま、家で待っていてくれたヨワートさんを誘って、一緒に紙漉場の川原に出かける。

最初の日にヨワートさんたちが作っているのをひととおり見ていたし、私も同じ材料を使って紙を漉いているのだから、おおむねやり方はわかる。
でも、見るのとやるのは違います。
やっぱり自分でやってみることはとても大事なことです。楽しい事です!

紙漉場は川の向こう側なので、裸足になって川を渡る。

ヨワートさんは材料を川原に用意してくれていた。
「はい、じゃあまず竹をつぶしてね」
「は〜い、師匠。わかりましたあ」
木をくりぬいた臼と杵を使って若竹をつぶしていく。
私はふだん砧や木槌を使うが、ラオスの杵は長い棒で、真ん中の握りのところが少しくびれている。使い込んであるので木の握り部分が滑らかになっており、とても使いやすい。
臼と杵はよく民話で見るウサギの餅つきのそれと似ている。
石灰とともに1〜2か月水につけてあった若竹は、すでにだいぶ柔らかくなっていて、簡単につぶれていく。それでも「はいはい、もっと力を入れて〜」とヨワートおばちゃんの激が飛ぶ。
「はい、わかりましたあ」腰を入れてつぶしにかかる。

やがてつぶれて繊維が見えなくなった竹のパルプを、たらいに移し、水に溶かしてまぜる。
この時、彼女たちはネリを材料に混ぜ込んでいる。
つる性の植物の茎を水につけて、とろみを出したものを使っている。
おもしろいのは、こし器がヘチマの繊維だったこと。
なるほど〜、こんなものも手作りでいけるのかあ、と感心してしまう。
ネリを入れた竹の紙料をまたよく混ぜる。

さあ、いよいよ紙漉だ。
といっても日本の紙漉のように水の中で漉きあげるのとは違い、ラオス式は、ひしゃくで布の上に紙料を巻いていく方式だ。
「これ、簡単じゃん」と思ってみていたのだが、やってみたらなかなかむずかしかった。
紙料がまんべんなく一律に広がらないのだ。
ラオス式の漉き枠は1m×2mくらいの大きさだ。そこにひょうたんのひしゃくで紙料をまくのだが、一度にまける量はわずかである。どうしても巻いた紙料が少しずつ重なり、鱗模様のように厚みが異なってしまうのだ。
あれ、ここが薄い、と思って材料を追加すると、そこにまた厚みの差ができる。ここが薄い、ここが厚い、と繰り返しやっていると、いつになっても終わりが見えてこないのだった。
夫が「へたくそだなあ、オレがやってやるよ」と言うのでバトンタッチしたが、やはり、単純な割にむずかしい。そのうち、お互いに腰が痛くなってきた。
ヨワートおばちゃんがうれしそうに笑っている。ちょいちょいとムラのあるところを補足してくれて、なんとかサマになってきた。
さて、これが漉き上がった状態。
ここから乾かすわけだが、今漉いた分は今日中には乾きそうにないので、今日の分は外に干しっぱなしとすることにして、先に干してあった分をはがさせてもらう。
はがしの道具は、ヨワートおばちゃんのかんざし。
これも単純そうでけっこうむずかしかった。
私がふだん漉く紙は、繊維が残っていて厚めなので、端に竹のペーパーナイフをちょっと差し入れるとすっとはがせるのだが、ラオスの紙は薄くて大きいから、破かずにはがすのは、神経を使う。「わっ」とか「あっ」とか言いながらはがしていたら、またもヨワートおばちゃん、うれしそうに笑いながら、「へたくそねえ」と言いつつ手伝ってくれるのだった。

作業が終わったあと、ヨワートおばちゃんの家で一休みさせてもらった。

家にいく途中で、おばちゃんに聞いた。
「今はどうしてたくさんの竹紙を作っているの?」
おばちゃんはあっさり教えてくれた。
「主人がなくなったので、お葬式の紙を漉いているのよ」
え、そうだったの? 最近のこと?
「ううん、ほんとは去年お葬式をしたかったんだけど、式をするのは準備もいるしお金もいるから、間に合わなくて、今年か来年やろうと思って紙を漉いているの」
ああ、そうだったのか....。この人たちは、はっきりした目的があって紙を漉いているんだなあ。紙漉をするのは楽しい理由ばかりではなかったのだなあ。

私が村で紙漉をしたいって言ったとき、それならヨワートさんがいいよって周りの人が言ってくれたから、てっきりヨワートさんは紙漉が好きでうまい人なんだと思っていた(実際たぶんそうなのだと思う。「紙漉は手間ひまがかかるし、みんながみんな紙を漉けるわけではない仕事なのよ、わかる?」とヨワートさん誇らしげに言っていたから)。でも、そういう事情があったとは。少し沈んだ気持になる。

でも、そのあとすぐにわかったのだが、ヨワートさんには新しいご主人がいた。なぜわかったかといえば、私はヨワートさんにラオス式の本作りも教えてほしいと頼んでいたのだけれど、こちらは「新しいご主人が明日までにやってくれる」と言われからだ。
あれ、もう新しいご主人がいるの? お葬式の竹紙を漉いてたのでは?
ちょっと意外ではあったけれど、人生にはいろんなことがあるもんね。
ヨワートさんは私と同い年でした。陽気で、しっかり者の女性でした。
前向きに、自分の人生を精一杯生きている女性だと思いました。
私はこのレンテンの民族衣装をヨワートさんに上手に勧められて買うことになりました。村でいろいろなことを一緒にしていたので、欲しいなと心から思ったですけど。
もちろんヨワートさんの手作りですよ。どうです?似合います?







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ラオス竹紙の旅 記録18
 午後1時を過ぎ、とうとう、おこもり部屋からシンヘットさん兄弟が出てきた。
左がシンヘットさん、右が弟さん。二人とも儀式用の刺繍をした鮮やかな上着を身にまとい、とても神妙な面持ちだ。長老たちから教えを説かれている様子だ。
いよいよ出てきた!と思ってから、また教えが続き、1時間以上が過ぎてから(村で時計というものはいっさい見かけなかったけれど、村人たちは時間をどう認識しているのだろうか?)、新たな展開があった。

数人の若者たちが、儀式用の衣装を身に着けてやってきた。皆頭に鬼の面を着けている。シンヘットさん兄弟も面をつけ、その前に頭を垂れる。
真剣に行われる式を、年少の子どもたちがまわりからじっと見つめている。
若者たちは二人のまわりを舞い踊り
竹紙や香を燃やし
ときに二人のまわりを取り囲む。
村人たちや子どもたちも集まってきている。
2階で行われた式に女性はまったく参加していなかったが、1階で裏方を務めていたシンヘットさんのお母さんも、このときはそっとのぞきにきていた。


午後3時。いよいよ外に出て行く時が来たらしい。
まわりの子どもたちもろうそくや小道具を持ち、
若者やシンヘットさんは舞い踊りながら
階段を下りて外に出て行く。

家の外に出た行列は、そのまま踊りながら
竹紙を掲げた青竹のまわりを輪になって踊り回っている。
長老たちも太鼓や銅鑼を鳴らしながら回っている。読経のような声も響いている。

そしてやがて踊りが終わると
兄弟は家の前にひざまずき
茶碗から何かを口にした。お酒だったのだろうか。

そして式は終わった。


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ラオス竹紙の旅記録17
またまたお酒が振る舞われる。
例の45度のラオス米焼酎だ。

もうだめです、飲めません、と言おうとしたが、
村の人は「これは親戚がみな飲むお酒ですから飲んでください」という。
ニットさんが
「親戚が皆飲むお酒をすすめてくれているんです。少しだけ飲んだらどうですか?」
というので、ちょっとだけグラスに口をつける。すると村人、
「全部飲み干さなければだめです」とのジェスチャー。
ええ〜っと思いながら必死でグラスを空にする。
と、「もう一杯」と言うではないか。もう無理無理、と言ったのに、どうも「式を受ける若者は二人ですから2回飲まなくてはいけない」と言っているようだ。
ええい、もう飲んでしまえ〜、とついに2杯とも飲み干した。
身体がカア〜っとしてくる。でも、なんだか混ざり物がないせいか、度数が高くて純度が高いのか、悪酔いする気はしない。

酔い覚ましに外に出る。
暗い室内から一歩出ると、抜けるような青空だ。
家に近い場所に、青竹が高く掲げられ、そこに長細い竹紙がはためいていた。
何が書いてあるの?と聞くと、他の村の精霊の名前が書いてあるのだそうだ。
他の村の精霊も式に招待されている。でも他の村の精霊は室内には入れないので外に招待しているのだとのことだった。

外でシンヘットさんのおばあさんが竹紙を使って何かをしている。
実はその作業は、昨日から同じ場所で黙々と続けられており、夫が「いったい何をしているんだろう?ずっと同じことをし続けているけど、何をしているのかさっぱりわからん」とささやいていたのだった。
おばあさんは竹紙を切ったり貼ったりする作業を、だまって黙々と延々とし続けているのだった。
とうとうニットさんに聞いてもらった。
「おばあさん、何をしているのですか?」
「精霊へのお土産を用意しているんです」
「は、おみやげ?」
「はい、竹紙で作ったお金と竹紙で作った服です。それをひとりの精霊に10枚ずつあげられるように用意し、竹紙の袋に入れて、来てくれた精霊たちに差し上げるのです」
ヒャ〜、おばあさん、孫の式に来てくれる精霊たちへのお土産を作っていたのですか?たくさん来る精霊たちの分をみな用意すべく、こうして黙々と作り続けていたのね。
よく見ると、ちゃんとレンテン族の衣装みたいな竹紙の服、そして竹紙の紙幣、それを入れるための竹紙の手提げバッグもある。
おばあちゃんの袋入れを手伝っている手はニットさん。ニットさん、こういう時に見たり話したりするだけでなく、誰にでもちょっと手を貸してあげるんだよね。本人はきっとあまり気にしていないだろうけど、それってすごいなと何度も思った。
バッグは、確かに村人たちがよく肩からかけている肩掛けバッグの形をしている。しかも簡単にではあるが、ちくちくと木綿の糸で端を縫って仕上げているではないか。バッグができると、それまでに作った紙幣や服を詰めている。時々縫う場所を間違えて底抜けになっていたりすることもあり、それに気がつくと、おばあちゃん、おかしそうに笑ったりしているのだった。
ああ、おばあちゃん、きっとシンヘットさん喜ぶね。
最初に来た日、シンヘットさんは、私たちにおじいさんおばあさんの家もちゃんと案内してくれて、紹介もしてくれていたんだ。

年寄りは若い人のためにしてあげられることが確かにあり、若者たちも、年寄りから学んだり、敬うべきことが確かにある。
話を聞いて、なんかいいなあ、と思った。

そのすぐ近くで
犬と豚が追いかけっこをしている。その後ろには綿花を扱う女性達の姿。
竹紙が燃やされたりして、外でも少しずつ儀式がすすんでいる。

そして、私たちはまたご飯をごちそうになる。
今日はうるち米のご飯だ。
これはおひつ。シンヘットさんのお母さんが、「ご飯を食べ残す人なんか、つぎの食事に呼ばないわよ」というので、一粒残らず食べる。もちろん、そういわれなくてもみんな山盛りご飯をもりもり食べている。
なんか健康な社会だなあ。


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ラオス竹紙の旅記録16 成人の儀式
 2月16日 今日も朝9時からナムディ村に来る。
今日はシンヘットさんに会えるかな。

家の2階に上がると、シンヘットさん兄弟はまだ出てきていない。
薄暗い祭壇の前でちょうど儀式が始まったところだった。
赤い服を着た若者がゆっくり舞い踊っている。
ちぎった竹紙がザルに入れておかれている。
若者が手に持っているのはなんだろう。
あ、鶏だ。生きた鶏を抱えて踊っているんだ。
時々、竹紙のところや祭壇に鶏を近づけたりしている....。
いきなり、鶏の首に刃物があてられた。
昨日、私がご飯を食べていたお茶碗に、鶏の血が注がれている。
鶏の血が竹紙の上に撒かれている。
竹紙に火がつけられ、薄暗い部屋に火が上がる。
太鼓と銅鑼が鳴っている。
絶え間なく、低い声で、祈りの声が続いている。

なんだかまるで、映画のインディアンの儀式を見ているようだ。
これは幻なのか?シャーマンの儀式なのか?
今はいつ?これは現代なのか?太古なのか?
夢かうつつかわからなくなってくる。
死んだと思っていた鶏が、床で時折ばたつく。
鶏は運ばれ、床には少量の血が残る。
その血もまた、人々の足でかき消され、
いつの間にかまたそこに人々が座っている。


若者の踊りが一段落して、シンヘットさんのお父さんと話す時間ができる。
お父さんはもう3日間眠っていないそうだ。

昨日は一晩中、6人の長老たちがシンヘットさん兄弟に教えを説いていたそうだ。精霊のいる場所、レンテンの文化など、レンテン族として生きていくためのすべてを教えるのだという。儀式を終えれば精霊は友達となり、怖い存在ではなくなる。どこにでもいくことができる。

「お父さん、今どんな気持ですか?」と私。
「うれしい、とてもうれしい」とお父さん。
「この儀式をすませなければ、いつまでも子ども。シンヘットさんは21歳で、本当はもう少し早く儀式をしなければいけなかったのだが、儀式をするのは大変なことで、準備やお金もかかるので、すぐには出来なかった。弟が13歳になるのを待って、二人一緒に式をすることができた。ほんとに嬉しいことだ」とお父さんは語ってくれた。

シンヘットさんに教えを説いていた長老にも話を聞く。
長老も昨日から寝ていない。食事も1日に1食である。

儀式の意味や竹紙の意味を尋ねると
「人はいいことも悪いこともする。悪い人もいい人もいる。式を受ける人もそうだし、死んだ先祖もそれは同じだ。式を受けることで人は浄化し、死んだ人も天国に行くことができる。竹紙を燃やすことは浄化の意味を持っている」
との答えが返ってきた。

長老との話は、もちろんニットさんのラオス語を介して行ったのが主であるが、レンテン族の年長者は、ある程度の漢字を書くことができるため、漢字を使っての筆談も多少できるのだった。
長老は私のノートにこんな字を書いてくれた。
「那人教公平里行路不錯二人新人受戒師」
きちんとした意味ではないかもしれないけれど、何となくわかった。
二人の若者がこれから道を誤らずにまっすぐ進んで行けるよう私たちは戒めを説き教えを伝える。自分はその師である。そんな意味なのだろうと思った。

今度はニットさんが残念がった。
「ここはラオスなのに、僕のほうが意味がわからない。ここ、本当にラオスですか?」

中国で始まった漢字文化は、遠い時代に雲南からラオス北部へと南下し、また一方で東に流れて日本に伝わった。東と南でその文化を受け継いだ私たちが、今こうして出会い、その漢字を使って会話をしている。なんだか古い知り合いに会えたような、時代を超えた不思議な懐かしさが自分の中にわいてくるのを感じた。長老もそうだったのではないか。
彼はそれからも何度もノートを使って語りかけてくれるのだった。


| ラオス竹紙探訪の旅 | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録15 
 少し時間に余裕があったので、帰りに二つの村に寄る。
最初はレンテン族の村、ダワン村。
村の入り口の家に住むおばさんに竹紙のことを聞く。
「去年たくさん作ったから今年は作っていないわ」とのこと。
「でも、紙のストックはあるから、欲しいなら売ってあげるよ」
「うん、村を一周回ってからもう一度立ち寄るね」
と言って先に進んだのだが、なぜか、少し歩き進むと、もう先の家から竹紙を持った別の女性が出てきて、私たちを待ち構えている。
「あれ、携帯で連絡しあったの?」というくらいのすばやい情報伝達である。

ダワン村では今年は紙漉は行われていなかった。
それでも、みな葬式や先祖をまつる儀式に備えて、竹紙を漉き備えておくことは続いている。
やはりレンテン族にとって、竹紙は欠かせないものであることは確かだ。
家の脇には、布をはずした竹の漉き枠が立て掛けられていた。

一周回って二人の女性から竹紙を1枚ずつ譲ってもらう。
ひとりは彼女から
もうひとりは彼女から

戻ってくると、最初の家のおばちゃんがご機嫌斜めだ。
「あんた、別の人から竹紙を買ったのかい?」
「誰がどんな紙を漉くのか見たかったのよ。おばちゃんのも1枚ちょうだいね」
と言うと、すっと機嫌が直って、家から自分の竹紙を持ってきてくれた。
で、おばちゃんの家の前で、おばちゃんとニットさんと一緒に記念撮影。

日本でもそうだが、手漉き竹紙は漉く人ごとに微妙に風合いや繊維のつぶれ具合、色合いが異なる。ダワン村で譲ってもらった3枚の竹紙も、一人一人の顔と同様に表情が違っていた。おばちゃんの竹紙は、実は村の3人の中で、一番やわらかく繊細だったなあ。


次に、トゥクトゥクの運転手さんの奥さんの村が近くにあるというので寄ってみる。
ルー族の村、ナムトン村である。

のどかな農村だ。庭や畑や家畜もいて、結構ゆとりを感じる。
雑貨店みたいな家で織物をしている女性がいた。
手織りの巻きスカートを織っている。彼女が身につけているのもとてもシックですてき。
こんな光のこぼれる中で
こんな単純な道具と人間の手技によって
こんな織物が作られているんだなあ。
この雑貨屋でこれが生まれているとは普通思うまい。

その後、運転手さんの奥さんの実家にも立ち寄らせていただく。
いきなりやってきた変な日本人の旅人にもかかわらず、どこに行ってもイスやお茶を勧めてくれる。
ラオスの人、ホントに親切だなあ。
| ラオス竹紙探訪の旅 | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラオス竹紙の旅記録14 儀式
 2月15日 なんとか動けるまでに回復し、朝からナムディ村に出かける。
この日は儀式で竹紙を使うと聞いていたのだから、どうあっても行かねばならない。
土ぼこりをあげるでこぼこ道をトゥクトゥクに乗って出かける。

朝9時。村に入り、シンヘットさんの家を訪ねると、「よく来たよく来た」という感じで家の中に招き入れてもらう。1階ではシンヘットさんのお母さんを始め、女性達が何やら準備に忙しそうだ。
1階は土間、奥のほうのここが台所
火の煮炊きもここでしている。

2階に上がる。薄暗い中で、男性達は何やら準備らしきことをしている。

この人は村の村長さん。若手だがやり手、という感じ。

シンヘットさんの姿が見当たらないので「シンヘットさんはどこ?」と聞いたら、
別の男性が「あそこだよ」と教えてくれた。
2階の隅のビニールシートで覆われた中にシンヘットさんと弟さんがいるのだそうだ。兄弟二人一緒に成人の儀式を受ける。3日3晩ここから出てはいけない。食事も最低限しかとることができず、会話も禁じられているという。

村の男性は12歳から19歳の間にこの儀式を受ける。大学に行くような頭のいい人でもどんな人でもこの式を受けなければ大人にはなれない。結婚も出来ない。


「ここに入った人は皆このお酒を飲んでください」
と言われ、米で作ったお酒を出された。皿の上にお米が敷いてあり、そこにお金とお酒がおかれている。例の45度のラオス焼酎だ。
ひえ〜っと思ったが、式に参加する人は、皆このお酒を口にしなければいけないと言われ、決意を固める。
思い切っていただく。瓶にはショウガ?が入っていてすっきりした味だが、効くぅ。
皆に従って、お金も少々お供えする。

竹を組んで祭壇づくりが始まった。

竹紙を切ったり貼ったりしながら準備が進む。糊もご飯を炊いて作っている。この人たち、何でも一から作れるんだなあ。

村長は竹紙や色紙につぎつぎ筆で漢字を書いている。

なかなかの達筆だ。
この村長、ほんとにリーダーシップがみなぎっていて、頼りがいがありそう。

「何を書いているのですか?」と尋ねると、先祖の名前や精霊の名前を書いているとのこと。
ご先祖さまや精霊達にシンヘットさんが大人になることを伝え、成人式にみな呼び寄せるのだそうだ。彼らはシンヘットさんに力を与えてくれる。

よくこんなに名前を覚えているものだと思うくらい、つぎつぎ延々と名前が続く。
精霊は、木や石やいろいろなところにいるらしく、精霊のいる場所をたくさん書き記している。30〜50もいると言っていた。「八百万の神」という感覚かな。
村の精霊だけでなく、近隣の村の精霊も呼ぶのだと言う(ただし、家の中には村の精霊しか入れない)。
ご先祖さまと精霊の名前書き(招待状書き?)は数時間にわたって続いた。

村中の人が入れ替わり立ち替わりしながら延々と準備が進む。
年配者がときどき「こうしてやるんじゃ」と若い人にやり方を教えている。
若者達もかいがいしく、というほどではないが、「なんかやることあるっすかあ?」みたいな感じで、年配者の指示に従いながら手伝っている。すでに儀式を経験したものもいるし、これから行う若者達は「こんな風にやるのかあ」という見学の意味もあるようだ。
そして、シンヘットさんと弟さんはこもったまま出てくることはない。
いや、正確に言えば、一度ちらっともかけたことはあった。しかし、室内でも傘をさして顔を隠し、誰とも口もきかず、にこりともせずに、存在しないことになっている気配である。ものすごくまじめな表情で、最初にあったときのにこやかなシンヘットさんとは別人のようだ。目配せすら出来なかった。

午後2時半、だいぶ祭壇が出来てきた。
竹の土台に竹紙を貼り、飾りやお供え、灯明など竹紙で作られている。
竹紙や色紙にさまざまな長老の名前が書かれて貼られている。

祭壇づくりがおおむね出来たところで、シンヘットさんのご家族が食事を食べて行くよう誘ってくれた。
バナナの葉を敷いたテーブルに餅米を蒸したご飯とキャベツの炒め物、そして、トウガラシと塩を混ぜたものが盛りつけてある。
手伝っていた村人達も、みな食事をよばれている。私たちも。
それにしてもご飯とトウガラシ塩って、むちゃくちゃ合う。餅米がおいしいせいか、それだけで食が進む。みんなつぎつぎお代わりしている。
最初は私も一緒に席に着いたが、よく見たら男ばっかりだ。聞いたら、最初は男性が先に食べ、女性はそのあとに食べる、というので、この時は夫とニットさんが席に着いた。
私は女性陣と食べることにした。女子供の食卓。混じっている男性はシンヘットさんのお父さんなどの身内。

食事の後は、それぞれが洗い物をする。
同じ1階の土間の奥に流しがある。
水を溜めたたらいの中でささっとすすぐ。はい、おしまい。

じつは、私の食器も、男性陣が食べたあと、たらいでちょちょっとすすいだものをハイって渡された。すでにたらいの水は濁っている。
ちょっとだけひるんだが、村の人がよそ者の私たちにご飯ごちそうしてくれるんだよ。そんな機会あると思う? ここで食べないわけにはいかないでしょ。

でも、炊きたてのおこわとトウガラシ塩、ほんとにおいしかったんだ。
超シンプルで、それぞれの味が生きていて(前日までおなか壊してなければ、もっと食べられたんだけど)。キャベツも甘みがあっておいしかった。
すごくうれしい食卓でした。
(そんな機会、もう二度とないだろうと思ったけど、実はそれから3日間、毎日ご飯をごちそうになってしまった)

その後は、夜になってから、村の先生(長老)たちがシンヘットさんと弟さんにさまざまなしきたりや教えを伝える儀式があるということで、いったん村を出る。
明日になったらシンヘットさんは3日3晩のおこもりを終えて外に出てくるというので、明日も朝から村に来る約束をする。

| ラオス竹紙探訪の旅 | 15:34 | comments(0) | trackbacks(0) |

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